シナプススタッフリレーコラム『電脳随想』

月曜日, 8月 17th, 2015 投稿者:電脳随想

『もし私が、プロ野球選手になっていたら…』

NS事業部 営業チーム 福山泰仁

こう見えても私、小学生の頃は野球少年だったんです。
(無理とは分かっていましたが)プロ野球選手になってみたいと
思った事もあったもんです。

その頃の夢をちょっとでも実現させてみようと、こんな事を
妄想してみました。

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「もし私が、プロ野球選手になっていたら…」

Wikipedia風に「野球選手 福山泰仁」のプロ生活を、実際の
プロ野球選手の有名なエピソードを拝借しながら書いてみます。

18歳 甲子園には出場出来ず全国的にも無名な選手だったが、
さいたま東武パンジャーズに投手として8位指名を受け、入団。

21歳 二軍でくすぶっていた所を、当時の山本高志投手コーチより
「なあ福山、右足ちゃうか?」というアドバイスを受けた事で
才能が開花。元々売りであった直球に磨きが掛かり、
後に「石直球」と形容されるようになる。

22歳 33-4という圧倒的な敗け試合の8回から敗戦処理として
一軍初登板。3人目の打者、新井貴浩の頭部に死球を当てて
しまい、危険球退場。
しかしそれ以降の試合では中継ぎとして安定した活躍を見せ
シーズンを一軍定着で終わる。

23歳 開幕一軍を目指すが、宿場の風呂場で転んでしまい左足中指を
骨折。開幕は二軍で過ごす。

24歳 トレーニング中に、使用してたバランスボースから落下し左肘
骨折。一軍登録なし。

25歳 元々打撃センスも目を見張るものがあった事もあり、球団から
打者転向を打診され、受諾。育成選手として再出発することに
なる。

26歳 球団が業務提携を結んでいたメジャーリーグの古豪、ブルックリン
ドンジャラーズ傘下のマイナーリーグチームへ野球留学。
この時出会ったマイケル幾原との出会いが、後の野球人生を
大きく変えることになる。

27歳 マイナーリーグで打撃開花したことが日本で話題となり、シーズン
途中で急遽帰国。そのまま一軍スタメン(6番左翼)に定着して
シーズンを終える。その後数年間は、率を残せる上長打力も備わり
さらにはチャンスに強い事もありチームの主力選手として活躍。

34歳 「他球団の評価も聞きたい」と突然のFA宣言。
「横縞を縦縞に変えてでも」という意気込みで臨む神戸チャトランズ
との競合の結果、「帰ってきっくれんか」という口説き文句に絆され、
鹿児島シナプスオイドンガーズに入団。

36歳 自身初のシーズン30本塁打達成。

41歳 2000本安打達成。左足膝の怪我の影響もあり、この年から代打出場の
機会が増える。

43歳 シーズン途中で引退を決意。会見では「体力の限界…」と涙を見せる。
シーズン終盤に引退試合が催され、最終打席はセカンドゴロに終わる。
試合後の引退コメントで発した「今日集まってる子供たち! 野球は
いいもんだぞ! 野球は楽しいぞ!」は当時の流行語大賞候補に
あげられた。

いかがでしたでしょうか。
これらは、ほとんどが実在の選手の経歴の経歴です。
どれが誰の経歴なのか、よかったら当ててみてくださいね。


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