知らなかったドミニカの日本人

木曜日, 11月 21st, 2013 投稿者:たけうち

どうもこんにちは、たけうちです。

「世界の村で発見!こんなところに日本人」というバラエティテレビ番組をたまに見ます。番組タイトルのままですが、日本から飛行機・車を乗り継ぎ乗り継ぎ、数十時間をかけてやっとたどり着く、発展途上国のまさに「なぜここに日本人が!」と言わざるを得ない奥地で生活をする日本人に会いに行く、そんな番組です。

「こんなところに…」に登場する日本人は多くが女性で、年齢はだいたい青年・壮年です。ところが最近、たぶん再放送だったと思うのですが、中米/ドミニカ共和国の奥地にいる日本人は、かなり高齢のおじいさんでした。そのおじいさんは、田畑初さん。

田畑さん一家は1950年代後半、戦後の失業問題解決と、国際社会での日本の信頼回復のために企図された政府の移民政策に応じ、「広大で肥沃な土地の無償譲渡」を約束されて大きな希望を胸に移住しました。ところが、日本政府の悪意すら感じるずさんさと現地の不安定な政情に翻弄され、田畑さん一家は「戦後移民史上、最悪のケース」と言われる過酷な生活を強いられました。与えられた土地は約束の3割程度の広さ、しかもひどくやせた荒れ地で、とても耕作に耐えるものではなかったようです。「こんなところに…」ではバラエティ番組という性格からか、田畑さんの辛苦にはさらっと触れるのみでしたが、田畑さんは今ではドミニカの地で周囲の信頼を勝ち得て、また文字通りの血と汗で築き上げたコーヒー園を孫の世代に残しました。

そんな番組を目にして、ちょっと気になって調べてみると、なんと田畑さんは鹿児島県大隅の出身でした。しかもドミニカへの移住者は鹿児島出身者が多かったようです。ぜんぜん知りませんでした。2000年から2006年には政府を相手どった移住者による裁判もおこされ、きっと報道もあったはずなのですが。職場で話をしてみると、あるスタッフから「母の友だちも行ったみたいですよ。」と返ってきて、ますます身近さを感じる話になりました。

インターネットの普及した今は、インターネットの様々なツールを使いこなすことで、自分の声を広く届けることの敷居も下がりましたが、逆に埋もれたままの貴重な声や情報は、まだまだ多そうです。鹿児島でこの業界に身を置く者として、ちょっと考えさせられました。


コメント
  1. こんにちは。

    「知らなかったドミニカの日本人」ですかぁ~。

    ドミニカ移住の日本人の話は有名ですよね。
    でも、鹿児島出身者が多いとは知りませんでした。

    夢の生活に希望を持って移住した場所が、「戦後移民史上、最悪のケース」と言われる過酷な生活になった時の気持ちは計り知れないですよね。
    でも、そんな気持ちを打ち消すように耕作し、血と汗でコーヒー園を築き上げ、孫の世代に残した偉業は凄いですね。

    夢に敗れた気持ちを支えてくれたのも、やっぱり「夢」だったのかもしれませんね?

    http://www.youtube.com/watch?v=eA0Z-6Kp2M0

    Comment by 9時から男 2013年11月24日 7:54 PM

  2. 9時から男さん、こんにちは。
    一緒に移住した仲間の日本人が次々に引き上げるなか、この田畑さんのやり遂げる力の源はなんなんでしょうね。ほんと、すさまじいです。

    Comment by たけうち 2013年11月25日 9:10 AM

  3. 私は田畑さんの隣にあった日本人コロニア、アルタグラシアと言うのですが、そこに入植とは名ばかり、強制的に入れられたドミニカ移住者の一人ですが、毎年ドミニカに一度は訪問しております、田畑さんは95歳になり高齢ですが行くたびに会いにゆきます。かっての仲間ですから。私は帰国移住してからもう15年経ちますが、半世紀も住んだドミニカは故郷です。ドミニカのことがあまりにも日本人に知られていないのには驚きですが、その意味ではまだ鎖国状態の日本ですからね。

    Comment by 濱谷均 2014年4月16日 5:20 PM


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