海軍兵学校生徒

2013 年 6 月 19 日 水曜日 投稿者:たけうち

どうもこんにちは、たけうちです。
一昨日の6月17日は、68年前のその日、鹿児島大空襲のあった日ということで、慰霊祭なども行われたようです。ちょっと調べてみると、鹿児島の戦災はこの日一回限りではなく、1945年の3月から8月までの約5ヶ月間に、なんと計8回も空襲されたとのこと。ぜんぜん知りませんでした。

「宇宙戦艦ヤマト」世代ということもあって、子どもの頃から”戦争”には若干の関心がありました。様々な本やテレビ・展示などを通じて、間接的に太平洋戦争に触れることはありますが、正直なところ全く、日本軍、この日本人が、遠く太平洋や大陸に進軍したということが想像できませんでした。

そんななか、たまたま海軍兵学校に籍を置いた方と出会いました。海軍兵学校は、旧日本海軍の将校を養成する日本屈指のエリート校で、優秀な生徒が多かったためか、戦後活躍する各界の著名人も多く輩出しています。

お会いしたその方は、海軍兵学校第78期。たぶんお歳は84歳くらい。78期生は兵学校最後の生徒で、終戦当時は16歳。実際戦地には赴いてはいません。ただ当時の様子をネットで調べると、戦地には行っていないにしても、海軍の重要拠点ということで数度の激しい空襲を受けたり、また終戦直後の兵士の反乱行為など、多感な少年期にはあまりにも激烈な体験をされたようです。

その78期の方から直に伺った「栗田校長はあまり話さない人だった。」という言葉は、自分のなかでリアリティのなかった”旧日本軍”を、始めてリアルなものとして実感した一言でした。自分にとって歴史上の人物でしか無かった栗田健男に会ったことのある人が、この目の前にいるなんて。

どんな資料にも代え難いその方の貴重な実体験を伺う機会を、なんとかこれから作っていこうと思います。


コメント
  1. こんにちは。

    「戦争」ですかぁ~。

    今年で戦後68年になるのですよねぇ~・・・。
    私の両親でも戦争をおぼろげにしか覚えていない世代なのですよねぇ~。

    それだけ長く平和な時代が続いている事は喜ばしい事ですが、その一方で戦争の悲惨さを語ってくれる人が少なくなってきているのですよね。

    >どんな資料にも代え難いその方の貴重な実体験を伺う機会を、なんとかこれから作っていこうと思います。

    国内にもたくさんの資料館がありますが、やっぱり戦争を実際体験した方の話には資料や映像とは違った重みがありますよね。

    『戦争から生まれるものは悲しみだけです。二度と戦争はしてはいけないです。』

    http://www.youtube.com/watch?v=cTRfPNEPR-A

    コメント by 9時から男 2013年6月23日 5:09 PM

  2. 9時から男さん、おはようございます。
    そうですね。鹿児島は”特攻”に関わる資料館があるので、ある意味考える機会に恵まれているかもしれませんが、実体験・肉声は本当に貴重です。

    コメント by たけうち 2013年6月24日 9:13 AM


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