ひょんと

2011 年 8 月 15 日 月曜日 投稿者:たけうち
こんにちは、たけうちです。
「ひょんと」なんて表現、これまでたったの一度も使ったことはないです。「ひょんなことから」はあっても、「ひょんと」なんて表現があることは、けっこうな大人になってから知りました。この軽妙というか軽薄というか、なんかとぼけた語感がとても印象的です。

竹内浩三という詩人が21歳のとき、1942年に作った「骨のうたう」という詩の中に、「ひょんと」という表現が登場します。竹内浩三が私と同郷の三重県出身、しかも同じ姓と言うこともあって気にかかり、ちょっと浩三について調べてみました。

あくまで私見ですが、彼は今で言うところのオタクですね。生半可ではなく、筋金入りのオタクです。浩三の創作時期は太平洋戦争に重なり、自由な表現が厳しく規制された時代です。召集令状を受け取ったのを契機に、同人誌「伊勢文学」を急ぎ創刊、それから入営までのわずか半年の間に全5号を発行しました。入営後も検閲の眼をかいくぐって、日記や手紙という形で、創作を続けます。

でも作品からは、創作の”汗”とか必死さとか、反戦や反体制などという重苦しさ堅苦しさ、また悲壮感はあまり伝わってきません。ただただ自由気ままに詩を書きたい、表現をしたい。だからそれを妨げる戦争や軍隊生活や、そしてまた戦死が、イヤでイヤでしようがない…といった感じです。お金が無かろうが世間体が悪かろうが上官に怒られようが、それらを半身でするすると受け流し、自分のやりたいことをやっていく。オタク中のオタクです。そういうオタクの浩三だったから、「ひょんと」なんていう型にはまらない、素晴らしい表現を編み出したのかなと思います。オタク、恐るべしです。

でもわずか23歳で、浩三はひょんと戦死してしまいました。遺骨の入っていない白箱で、戦地フィリピンから帰還したそうです。本当に、残念です。

  • 「骨のうたう」(岩波現代文庫「戦死やあわれ」より)
    戦死やあわれ
    兵隊の死ぬるや あわれ
    遠い他国で ひょんと死ぬるや
    だまって だれもいないところで
    ひょんと死ぬるや
    ふるさとの風や
    こいびとの眼や
    ひょんと消ゆるや
    国のため
    大君のため
    死んでしまうや
    その心や
    …詩の続きは、「愚の旗-ひとを信じようひとを愛しよう-竹内浩三」にあります。

コメント
  1. こんにちは。

    今は「8月」と言えば、当たり前のように「夏休み、長期休暇」と言われる平和な時代ですね。

    でも「8月」と言って忘れていけないのが「終戦記念日」ですよね。

    この「ひょんと」を私的に解釈すると「あっけなく」という表現がピッタリのような気がします。
    でも、この当時の時代に「あっけなく」という言葉を使う事は無理でしょうね。

    今の時代は、「表現の自由」とよく言われますが、匿名での名誉棄損的発言は、どう考えても「表現の自由」とはちょっと違うように思います。

    平和な時代だからこそ改めて「言葉の大切」を考えてみようと思いました。
    http://www.youtube.com/watch?v=B-rjuIwKzk0

    コメント by 9時から男 2011年8月15日 8:21 PM

  2. 9時から男さん、こんにちは。
    この「骨のうたう」を読んで真っ先に思い出したのが、水木しげるの漫画「総員玉砕せよ!」でした。この詩と漫画から、「戦死」に優劣美醜はないですが、ただ何気なくイメージしていた華々しい戦死というのは結構”まれ”で、9時から男さんの仰る「あっけなく」つまりは、ひょんと死んでしまう方が多かったのかも…と考えさせられました。8/15、1年に1度の機会ですので自分なりに考えたいと思いました。

    コメント by たけうち 2011年8月16日 8:03 AM

  3. 小生 竹内浩三なる詩人を知りませんし、ましてや浩三の詩を読んだこともありません。
    「ひょんな」=思いがけない、意外 の三重なまりではなどと勝手な想像をしてはいけませんね。この詩を読んでやはり知られていない詩人もありそこには心打たれる詩があること再認識しました。

    コメント by azemoto 2011年8月18日 6:00 PM

  4. azemotoさん、コメントありがとうございます。
    私はまったく”詩”心なんてありませんので、私の解釈を浩三が知ったら、怒られるかも知れません。そんな意味じゃない!と。でももっと浩三の名が世に出てもいいのになあ…と思います。

    コメント by たけうち 2011年8月18日 6:30 PM

  5. 謙遜することはありません、浩三の詩に気づいて更に詩集を手にし、五月会の森節子の論評にふれるとは大したものです。こうした気配りこそがメディア人には大切ですから。

    コメント by azemoto 2011年8月20日 10:30 PM

  6. azemotoさん、おはようございます。
    コメント、ありがとうございます。これからもいろいろな気付きを増やせるように心がけて参ります。引き続き、よろしくお願いいたします。

    コメント by たけうち 2011年8月22日 8:28 AM


トラックバック

Sorry, the comment form is closed at this time.